不快なものを見た

不快なものを見た

人の善意って意外と簡単に踏みにじられてしまうもんですよね。良かれと思ったことが裏目に出て嫌な思いをしてしまうこともあります。この間、駅でこんなトラブルを目撃しました。

私が駅のホームのベンチで座って音楽を聴きながら電車を待っていたとき、ふと視線を右の方に送ったら、3メートルくらい離れた先に財布が落ちていたんです。

「落し物かな? 拾ってみようか……」と、僕が思っていると、カジュアルな格好に身を包んだ若い男性が歩いてきて財布を拾いました。

流行っているのか分からない、へんてこな防止を被り、ダウンジャケットを着ているのに前をオープンにして首元が大きく露になっているTシャツを着ているという、防寒したいのかしたくないのか分からない不思議なファッションという、今時的な雰囲気から察するに、大学生か専門学生といったくらいの子でした。

その子は財布を拾うと、立ち止まったまま中身を確認しました。挙動不審な感じはありませんでした。純粋に、落とした人の情報を確認しようとした感じにみえましたから。そもそもやましい思いがあったら、すぐに立ち去ってトイレかどこかでお金を抜き取り、財布は捨ててしまうことでしょうから。

「まぁ、ちゃんと届けるだろう」

そう感じ、特にその後の行方は気にしないでおこうとしました。

ところが、財布を拾った若者の前に血相を変えたおばさんが勢いよく表れて「ちょっと! それ私の財布です! 何してるんですか!」と喚きちらし、財布を若者の手からむしりとりました。

あっけに取られた若者は「いえ、拾っただけなんですけど……」と説明しました。しかしそんな説明はおばさんに聞こえていないようで「抜き取ったんですか!? 盗んだんですか!?」と詰め寄りました。

若者は犯罪者扱いされて気分を害したのでしょう。「だから、ここで拾っただけです!」と、強めにおばさんに言い放ちました。

その若者の態度におばさんは怖気ついたのか、今度は大声で駅員を呼びました。

若者は面倒はごめんと思い、その場を去ろうとするも、おばさんは腕を両手で掴み「逃げないでください! この人逃げようとしてます! 止めてください!」と喚きだしました。

そして駅員さんが現れて、おばさんは財布が盗まれたという話を前提に説明をしはじめました。

あまりにも若者が不憫だったので私は間に入り「若者は財布を拾っただけですよ」と見たままの事を報告し、その場は収まりました。

財布を若者が拾い、おばさんが「ありがとう!」と受け取れば、穏便にことは終えたのに。おばさんの人の見方がひねくれていたせいで、若者も私も駅員も、周りにいた人もみんな不快な気持ちになってしまいました。

大人の威厳が無くなる怖さ

そういう時代だと言われてしまえば仕方が無いことなのですが、知っている中高年の方がSNSを利用していると知ると、どうしても抵抗を感じてしまいます。正確には、利用しているということではなく、利用していることをアピールしているのが辛く見えてしまいます。

先日も一人、趣味つながりの40代の知人と話をしていたのですが、その方は暇さえあればスマートフォンをチェックしていました。「仕事の都合ですか?」と尋ねると「いえ、○○にコメントが無いかチェックしてます」とのこと。出先でもネット上の交流を気にせずにはいられないのは、若者に限ったことではないようです。

私が子どものころ、両親の世代はインターネットとは無縁の世代でした。それが私が違和感を感じる大きな理由だと思います。悪くとってしまえば、偏見なのかもしれません。ただ、どうしても大人がそれを子どもと同じように楽しんでいる姿にはなれることができません。

子どもからしたらどう見えるのかというのを私は気にしてしまうのです。父と母が、子どもの知らないところで秘密のやり取りを誰かとしているとしたら、私は気持ち悪く感じてしまいます。生活の愚痴を漏らしている人もいますよね? そういった内容の話を自分の両親がネット上に流すことを捌け口にしていると考えたら、恐怖すら感じます。

今はとてつもない家族環境の変化の最中なのだとよく感じます。今はまだ、私のように年配の方がインターネットの交流を公に利用することを違和感を感じる人もたくさんいることでしょう。ですが、そのような人はどんどん少なくなり、誰もが当たり前のように使用するようになるのでしょう。そうなった時、親はどのような生活を送り、それを子どもに見せるのが当たり前になるのでしょうか。

昔はよく、子どもは親の背中を見て育つものといわれてきました。親は威厳を保ち、子はそれを時には恐れ、時には頼もしく感じて育ちます。そのような情景は私の知る限りでは確実に減ってきているように思えます。

「大人も子どもも、実はそれほど変わらず毎日悩んで苦労して生きているんだ」ということを知ることが、私は大人の階段の一つだと思っています。それまでは、大人は子どもとは違う特別な存在なのだという威厳を持たなければいけないのではないでしょうか。それが、子どもから大人まで平等に楽しめてしまうSNSのために崩れる一方だというのが、私には恐ろしいです。